混乱を乗り越えDV-2020移民ビザを取得したHさんのお話し。
- 2020.09.29
- グリーンカードを取得したお客様の声
コロナ禍と大統領令で停止されたDV-2020面接
本来なら2020年9月までに全世界の当選者5万人に移民ビザが発給されたはずの、DV-2020プログラムですが、面接が中盤に差し掛かった3月18日に突如アメリカ大使館から面接キャンセルの通知があり、4月6日に予定されていた面接が中止されました。
そしてトランプ大統領は4月23日に60日間移民を停止する大統領令を発効、DVを含む移民が6月22日まで停止されることになり、多くの当選者が手続きを中断することになったのです。
その後、大統領令は非移民ビザの停止を追加して12月31日まで延長され、アメリカ大使館はビザ面接を停止したままで、事実上DV-2020の手続きは3月の面接を最後に4月から8月まで完全に中断されたのです。
9月4日 連邦裁判所の判決でDV-2020発給再開
移民ビザや非移民ビザでの入国が停止された後、世界中を巻き込んだ論争に発展して6月以降いくつもの訴訟が起きました。DVプログラムに関しても発給手続再開や、発給年度の繰り越し(ロールオーバー)を求める下院審議や訴訟が起こり、8月には州裁判所で判決がありましたが、実際の動きは確認されませんでした。
ところが9月4日にワシントンD.Cの連邦裁判所が、ビザ締切日と2020年会計年度末(9月末)までに、DVを含む停止中のビザ申請と更新を「迅速に処理し、裁定する誠意ある努力」を行うようアメリカ国務省に命じたのです。
可能性を信じて準備されていたHさんからの連絡
9月4日の段階では、発給が停止されていたDV移民ビザに関しても明るい兆しが見えたものの、私は判決が遅すぎると思いました。アメリカの会計年度末は9月末なので、残り24日で5ヶ月も停止していたビザの発給手続きが出来るかが一番の疑問です。また大統領令はもとより、大使館面接が再開されていない中での判決にも疑問は残ります。
それに加えて6月の段階で確定的に中断されたビザ発給の手続きを継続する意味がなく、特に移民ビザでのアメリカ入国期限に影響する「指定病院での健康診断」を受診するためには、日本では4つのクリニックしかなく、受診には予約も必要ですぐには診断結果もでません。その上費用も高額です。
ところが、誰もが絶望的な中で、僅かな可能性を信じて7月に健康診断を受診して8月にはアメリカ大使館に診断結果の送付を完了されていたというHさんから、アメリカ大使館への緊急面接要請に関してのご相談が届いたのです。
出来る事は全てやる行動力。ついに面接が決定!
Hさんは7月の段階でDV-2020の発給継続に関する訴訟提起情報を知っており、9月4日の連邦裁判所の判決結果も知り、KCCやアメリカ大使館への面接直訴と必要な面接資料の送付を行うと決断されたのです。
面接が行われるかどうかも不明な上、国務省の対応やアメリカ大使館の動きもわからない状況下でしたが、僅かでも可能性がある限り努力して行動をすることを決断されたHさんをサポートしました。
Hさんはその後KCC(ケンタッキー領事センター)、アメリカ大使館などに面接要望のメールを送り、DV-2020ビザ発給延長の訴訟などにも加わりました。面接に必要な書類も準備してアメリカ大使館に送付するなど、出来る事は全て短期間で行い、DV-2020のビザ取得を諦めなかったのです。
しかしどこからも連絡はありません。それでもHさんは諦めず行動し続けました。そして9月18日には那覇の領事館にもメールを送りました。
すると、すぐに那覇の領事館から「東京のアメリカ大使館に、ケースをすぐに転送するように要請します」という返信が届いたのです!!!
那覇の領事館はKCCにもケースを転送するようにと働きかけてくれました。
ところがその後にステータスを確認すると、面接が9月25日に東京のアメリカ大使館に設定されていたのです。連休前ということもあり、那覇とアメリカ大使館どちらで面接があるのか確実な事がわからなかったのですが、19日の土曜日にアメリカ大使館から「面接を23日に変更してもよいか?」との連絡があったのです。アメリカ大使館も臨時対応を行っていたようで、那覇やKCCとも連携していたようです。
9月23日アメリカ大使館でのDV-2020面接レポート
Hさんは那覇行きを急遽変更し、23日の面接に向けてアメリカ大使館のある赤坂に向かうことになりました。(ここからはHさん自身のご寄稿を元に面接の状況を詳細にレポートしています。)
面接当日。アメリカ大使館からのメール通知では8時15分の入館指定でしたが、雨も心配だったので7時55分頃に大使館入り口に到着しました。前日に赤坂のホテルから大使館までの道のりを下見しておいたので迷わずにすみました。
エントランスでは数人の日本人男性がテントを設営中で、その日の入館者をリストで確認していました。
8時00分、建物に入ってセキュリティーチェックを受けました。空港の搭乗口のセキュリティーゲートのようなものを通り、チェックは終了。水のペットボトルの持ち込みもOKでした。
面接会場の待合室は、ソーシャル・ディスタンスのためか椅子が少なく6人くらいしか座れない配置でした。来ている人は6組くらいで、空いていました。番号札は「1番」を渡されました。
窓口は1・2・3番はインテイクとして、持参の書類を渡す場所。4・5・7番は指紋採取の場所。6番は真ん中でインフォメーション、8・9・10番は面接窓口になっていました。
8時25分、椅子に座って入り口で渡された紙の指示に従って書類を並べている途中、書類提出の3番窓口に呼ばれ、持参の書類を提出。窓口で名前を言うと、「書類、届いていますよ」と、私が9月初旬に大使館宛に送った赤のレターパックが置かれていて、中に書類が入っているのが見えました。(東京大使館から、那覇の領事館へ移送がされていなかったので、ほっと安心!)ビザ写真は、今回持参の写真を使いたい旨をつげると、「この透明な袋の中身を交換してください」と言われました。続いて窓口の後ろの支払いキャッシャーで、料金を払うように言われ、クレジットカードで330ドルを支払い、2枚の領収書を同じ3番の窓口に提出しました。
この時点で一番心配していた面接資料の移送はされていなかった事が確認出来て、Hさんも本当にほっとされたことでしょう。私も経緯を知っていたので、健康診断結果がアメリカ大使館に保留されているかがとても気がかりで心配でした。
通常時のDVビザ面接は毎月一度だけ月初の月曜日か火曜日に設定され、一回当たりの人数は30~50名ほどで行われていますが、今回の判決以降の措置では確認出来ているだけで、9月15日、23日、25日、28日と複数回に分けて設定されています。
8時50分、指紋採取の窓口で、両手の指紋を採取され、次に面接で呼ばれるまで30分。面接窓口の9番と10番のブラインドの向こうに影が見え、念入りに書類をチェックして、コンピュータに入力している様子がうかがえました。9番の担当は、ブラインド越しに、ごつい男性のように見えたので、10番で呼ばれたいと考えていました。
ブラインドが上がると9番担当者は「ごついけど、優しそうな男性」でした。その9番には、ヒスパニック系の親子が呼ばれ面接が始められました。
9時20分、私は10番窓口へ。担当者は白人の若い女性職員でした。ここで、再度、右手4本の指紋採取が行われ、「はーい、インタビューしますよ。」に続いて私は右手を挙げ、担当領事が宣言文を読み「誓いますか?」と聞かれ、ひとこと「Yes」と答えたら、「OK!」と言われインタビューが始まりました。
インタビューは、「アメリカで何をしたいか」を中心に質問されました。その担当領事は、私とのインタビューをその場でコンピュータに入力しながら面接していました。
Q:何やりたい?
A:学習塾の先生。
Q:どんな先生?
A:シアターを取り入れたアート・エデュケーションの先生。
Q:今の仕事は?
A:学習塾の先生
Q:何で、そのジョブなの? 何で、アート・エデュケーション?
A:アメリカの大学のインターンシップの単位で、北海道・釧路でダンスセラピーのワークショップを開催したのがきっかけです。
Q:何でやろうと思ったの?
A:ウエストバージニヤ・ウエズリヤン大学で先生がいて強い影響を受けたからダンスセラピーをやりたいと思いました。
Q:どんなふうに強い影響を受けたの?
A:人々がこんなにもシアターやダンスを通して、メンタル的にもフィジカル的にも変わっていくのかを目の当たりにして衝撃を受け、関心を持ちました。
Q:どこで、仕事をするの?
A:ニューヨークで。
Q:知り合いやコネはあるの?
A:高校時代のニューヨーク国際ロータリークラブ・交換留学生の時のホストファミリー達や地区のロータリーの人たちが沢山います。また、2年前にニューヨークの演劇学校・ネイバーフッドプレイハウスを修了したので、友達たちも待っていてくれているし、ヴォイスの先生、ダンスの先生、アクティングの先生たちがニューヨークにいます。
Q:どんな経緯でアメリカに興味を持ったの? なんでその仕事なの?
A:13歳の時、映画「ハイスクールミュージカル」を見て強く影響され、私の夢はシアターに関わる仕事になりました。(領事は、にこにこして、聞いていました)
Q:アメリカでの学費はだれが出したの?
A:親に支援してもらいました。
Q:コロナだけど仕事は大丈夫? シアターやステージは大変だけど、先生の仕事は問題ないよね? そうだよね?(領事が助け舟をだしてくれている話しぶりでした。)
A:はい。そう思います。
フレンドリーな対応でインタビューは進み、ついに、「OK,OK, あなたのビザは承認されました」と言われました。
心配していた資料も漏れなく準備出来て、インタビューもフレンドリーな雰囲気で進み、ついに移民ビザ承認です。わずかな可能性の中で行動を積み重ねて努力したHさんはこうしてDV移民ビザを勝ち取ることが出来たのです。
面接に関しては「どんな質問をされるのか?」という問い合わせが多いのですが、難しいことは聞かれません。たまに過度な質問や追求を心配される方もいますが、尋問でも取り調べでもないので緊張する事はありません。
面接での質問は「アメリカに行ってどういう職に就くか?」や「学歴に間違いはないか?」「グリーンカード送付先に変更はないか?」など淡々とした確認です。
今回Hさんは領事との間で密度の濃いやり取りをされていますね。これはHさんが英語が堪能だったことと、面接人数が少なかったためだと考えられます。また面接を行った領事もHさんの仕事に対する意欲や動機に関心を示していて、和やかな雰囲気で対話されていたことがうかがえます。
大使館を出たのが、9時50分頃。入場から退出まで2時間弱でした。番号が1番だったので早かったかなと思います。
その後すぐに両親に電話して面接でビザが承認されたことを連絡し、しばし歓喜に浸りました。それから近くのタリーズで一息。昼頃にグリーンカードジェーピーのスタッフさんに、「面接が無事に通りました!!!!!」との喜びの報告メールを送信しました。
ふと、思いつき、ステイタスを確認すると、午後にはすでに「Issued」になってました。
今回、アメリカでの訴訟に携わった沢山の弁護士さんや裁判官にとっても感謝しました。もちろん、KCCや日本のアメリカ大使館・領事館に感謝しています。
DV-2020面接を終えて
今、アメリカでは、9月30日の発給期限を超えての、DV-2020ビザ発行のための訴訟が起きています。この訴訟がうまくいき、日本をはじめ、世界中でのDV-2020グリーンカードの発行数が増えることを心から祈っています。
私は、とりあえず面接を通りましたが、実際のグリーンカードやSSNカードを入手するまで、どんなことが起こるかは未知数ですので、少し休養を取ったあとは、気を引き締めて取り組みたいと思います。
今回の面接を終えて、2018年の春にグリーンカード応募の予約をし、それからDV-2020の申請、当選となって、2年以上、ずーーーーーっと丁寧なサポートをしていただき、折々に迅速で正確な情報を伝えていただき、時には励ましていただき、面接の前日にも心温まる、丁寧なアドバイスをしていただいた、、
グリーンカードジェーピーのみなさま、引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。
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