911の混乱下。始まったNY移住生活

911の混乱下。始まったNY移住生活

2001年12月アメリカ移住を決意した栄さん。当時25歳だった彼はアメリカ史上最悪の出来事となった911の渦中、ニューヨークに暮らす恋人の元に戻るためにB2ビザを取得して、米国での長期滞在のきっかけを作ることに成功しました。

ニューヨークはまさに戦乱の混迷下。移住のタイミングとしても最悪の状況だったにも関わらず、彼女を守るため、そして自分の一生を掛ける覚悟を決めての「着地」だったそうです。

栄さんは「非移民」として、米国の永住者である恋人と同棲生活をはじめて、その後に結婚して永住権を取得しましたが、そこに至るまでには数々の困難があったそうです。

911当時のニューヨークの様子は?

911当時のニューヨークは、映画のシーンに出てくるような市街戦の情景そのものでした。戦争を体験した事がない人も、これが戦争なのだとはっきりと解るようなダメージが目の前に広がっていました。

直撃を受けたワールドトレードセンターでは、12月になっても残骸の処理が続いていて、交通規制が張られ、大都会に似合わないダンプカーやショベルカー、重機が轟音を上げて土砂を片付けていて、市街には四六時中砂埃が舞っていました。

通りの壁には行方不明者の写真や親族の連絡先が隙間もないほど貼られていました。警察官や軍隊の姿もあって、緊張感に包まれていましたね。

当時は今のようにスマホもなく、SNSなどもなかったので、ニューヨークの人達は皆がどこかしらに集って情報を求め、共有していました。

肌の色も出身国も違う様々な人達が寄り添い合っていて、合い言葉となっていたのが「United We Stand(団結して立ち上がる)」。その合い言葉が書かれたフラッグが至る所に掲げられていました。だれもが理解出来るシンプルな合い言葉に、現地で暮らし生きている人達の団結を強く感じました。

大混乱の渦中アメリカ移住生活が始まりました。大変だったのでは?

今になって当時のことを振り返ると、無謀でしたね。もし、過去の自分にアドバイス出来るなら「今は絶対止めておけ!!」ときつく念押ししますね(笑)

当時のニューヨークは今のCOVID-19にも匹敵するほどの混乱下でしたから、とにかく仕事がないですし、荒廃した市街にはピリっとした空気が漂っていました。

そういう光景は日本では見ることがないですし、感じることもできない雰囲気です。極端かもしれないですけど、本当に街の臭いが以前と違う。

それでも、当時の僕は本当にニューヨークに戻りたい一心でした。二十数年生きた中で、あれほど価値観や人生観が大きく揺さぶられ、変化して、この先生きて行くならニューヨークしかないと強く思いましたから。留学後の帰国は自由に働ける日本での資金稼ぎくらいにしか思ってなかったですね。

そんな感じでニューヨークに戻ったので、大人としての全てもここから始まるという思いが前提になってました。しかし実際に暮らしはじめて見ると、アメリカ市民でない自分には様々な制限がかかってきたんです。

当時住んでいたのは、彼女(今の奥さん)のアパートでした。僕が転がり込んだのですが、まず収入を得るためにB2ビザの範囲内で働くためにも、SSN(アメリカの社会保障番号)が必要になるのです。この手続きを彼女に手伝ってもらったのですが、最初に行った事務所では中々認めてくれないというか、担当者が拒否するような事態になってしまった。

しばらくの間はキャッシュでお金をもらえるアルバイトのような仕事しかできなくて辛かったです。きちんとした仕事に就くことが出来ないのが悔しいのと、中々雇ってもらえる仕事先も見付けられない。

彼女はこの時グリーンカードホルダーだったので、自由に働けるし、もちろんSSNも持ってます。そうそう、ちょっと話はそれますが、彼女はDVプログラムで当選してアメリカに移住していて、語学学校に勤めてたんですよ。移民の彼女と非移民の僕とでは、これほどまでに自由度が違うのかという体験を数えきれないくらいしてきました。

とにかくSSNを取得しないと前に進めないので、手続きする方法も色々と知恵をしぼりました。日本でもそうだと思いますが、何か許可を出すときは管轄の役所や担当者によって対応が違ったりしますよね。

そういうことがアメリカでも実際にあって、どうにかSSNが取得出来ました。これがないとアメリカではIDがないのと同じなので、取得出来た時は本当に嬉しかったですね。

それでも自分はグリーンカードを持っていないので、職業的な選択肢は限られてましたから、色々なアルバイトをしていましたね。

今考えると自由の国アメリカで、すごく不自由を感じながら辛い思いもしましたが、希望は持ち続けていたので楽しい思い出も沢山残ってます。自分がどう捉えるかで苦楽の程度には個人差があると思います。

その後結婚されて、すぐにグリーンカードは取得できたのですか?

SSNの取得も大変でしたが、非移民ビザの僕がアメリカの永住権(移民ビザ)を得るためには、まず彼女がアメリカ市民でなければならないんです。

まずはそこからということで、彼女の永住権を市民権に変えるための手続きをしたのですが、それが全然進まない。1年くらい経っても役所からは音沙汰なしで、さすがにおかしいと思って、詰めよって確認しました。すると、信じられないことに移民局側が提出していた資料を紛失していたんです。

弁護士は裁判を起こすこともできると言いましたが、そこで時間を取られても何もならないですから、手続きのやり直しです。

2004年に彼女の母国アイルランドで婚姻の手続きをして結婚しました。アメリカでは市民権の申請と僕の永住権の申請手続きを進めていきました。そしてアメリカに渡り5年の月日が流れた30歳の時、2006年にアメリカの永住権を取得できました。この5年間は本当に長く辛い時期でした。

ただ、いいこともあるもので、普通の結婚によるグリーンカードは偽装結婚などの不正取得を防止するために婚姻状態によって条件が付いてきて、グリーンカードの期限が数年とかになるのですが、僕は最初の取得手続きでいきなり10年(最長期限)のグリーンカードホルダーとして認められました。

その時の理由はいい意味でのアメリカ的な判断が加味されたと思いますが「あなたたちの婚姻関係はすでに数年前から成立している。婚姻関係が成立したのがどこであろうと、その事実はゆるぎない。」つまり偽りのない婚姻関係だから、グリーンカードも最長期限で問題ないと判断してくれたのです。

こうしてアメリカに渡って5年、アイルランド出身の彼女と結婚し。その後、晴れてアメリカの永住権を取得した栄さん。アメリカで社会人になれた感覚はまさにこの時だったそうで、彼は30歳を迎えていました。その当時「やっとアメリカで土俵に乗れた」と感じたそうです。

次回はそんな栄さんが今の仕事をはじめた経緯や、現在に至るまでのアメリカ生活についてお話しを進めたいと思います。