2022年グリーンカード取得。E2ビザから移民ビザへの道のり
- 2022.08.29
- グリーンカードを取得したお客様の声
今回インタビューさせていただいたI.Sさんは2020年に実施されたDV-2022プログラムにグリーンカードジェーピーから応募されて、一回目で見事に当選されました。
I.Sさんはご主人とお子さん2人の4人家族。事業の関係で、E2ビザでハワイに滞在し、その後はDVプログラム応募当時から現在に至るまで、カリフォルニアにお住まいです。
アメリカでの滞在歴も長く、非移民ビザを取得し、その後に更新も経験されているので、ビザに関する手続きには慣れているものの、DVプログラムの移民ビザは一年間で発給されるのが約50,000件と非常に少ないビザでもあるため、取得手続きには専門的な知識が必要です。
今回I.Sさんは在米中に手続きを進めて、面接は日本に一時的に帰国して行うことになりました。
手続き途中で思いも寄らないアクシデントが発生した今回の手続きを振り返りながら、現在カリフォルニア在住中のI.Sさんにロングインタビューを行い、グリーンカード取得までのお話を伺うことができました。
- 1. ハワイに住みたい!本拠も構えてそのまま出店。
- 2. 日本からハワイ、そしてカリフォルニアに移住
- 3. グリーンカード抽選 DV-2022に応募する
- 4. 1回目の応募でグリーンカード当選!
- 5. 仕事以上に大変だったDS-260作成。
- 6. アメリカ在住中の準備と先送りになった面接
- 7. 最新の動向から面接時期を分析して的中。
- 8. 面接はいつ?全く違う日が指定された!
- 9. 面接はトントン拍子!…のはずが。。。
- 10. 卒業証明書に肝心の卒業日が記載されてない!
- 11. タイムリミットまで1日。移民ビザが届かない!
- 12. フライト前日。ついに移民ビザが発給された!!
- 13. 移民ビザ発給の翌日アクティベートも完了
ハワイに住みたい!本拠も構えてそのまま出店。
学校に行きながら、母の事業を起こす手伝いをして働いてきました。そんな中で違う世界も見たくて、2ヶ月くらいオーストラリアに行きました。そのときの体験で世界に出たいという気持ちが芽生えました。その後もたくさんの国に行っていましたね。
そして人生の一大転機となったのが23歳の時、子宮頸がんになり摘出手術を受けた体験とその後のハワイ旅行です。手術後、体調を整え気持ちも大きく切り替えたいと思っている時、友人の誘いもあってハワイに行くことになりました。
それまでも色々な国に行きましたが、ハワイの印象が圧倒的でした。すっかり魅了されてしまい、ここに住みたいと思いました。起業したいとも思っていたので、ハワイでフードトラック(日本ではキッチンカーとも言われている)をしたらどうかと考えましたが、さすがにその時点では飛躍しすぎなので、具体的な計画は進めませんでした。がん手術からの回復の記念というか、そもそも走りに行こう!ということだったのでホノルル・マラソンに出場しました。
その後も母が事業を拡大していくのを手伝いました。そして27歳の時に夫と結婚しました。
結婚後は事業を起こしていましたが、当時は仕事をしながら渡米して、現地で物件探しをしてみると、偶然にも理想的な好立地に空きがあり、すぐに契約して開業準備を始めたんです。予定より滞在が長引き二人目の子供をハワイで出産しました。出産から一ヶ月後に会社設立、二ヶ月後にはもうお店が出来ていました。
ここまでの話を伺っただけでも、波乱万丈でありながら、強い意思と行動力を同時に感じ圧倒されてしまいした。あまりにもサラサラと、しかも楽しそうに話されるI.Sさん。底しれぬパワーの持ち主です。
日本からハワイ、そしてカリフォルニアに移住
お店にはオープン当時から多くのお客様がご来店してくださり、元々あった日本国内のお店も増えていきました。
日本、ハワイに会社を経営し、二拠点を行ったり来たりというライフスタイルでした。
ところが世界的にコロナウイルスの感染拡大となって、学校や事業もその影響を受けて、かなり混乱しました。本当に大変でした。ハワイでの生活も長かったのですが、子供の成長もあって、学校のことや住環境などを考えた結果、私と子供はカリフォルニアに移ることにしました。
そんなタイミングではあったのですが、グリーンカードの応募をしようと決めたのです。そこで検索してみるとグリーンカードジェーピーのページが目に止まったんです。
グリーンカード抽選 DV-2022に応募する
仕事の関係上、非移民ビザの取得手続きで専門家選びが重要だということはわかっていましたから、DVプログラムも応募の段階から確実な路線で行こうと決めてました。
グリーンカードジェーピーは細かな数字も含めて自社の当選数など実績を公表していて、アメリカ国務省の公式結果を引用して自社での当選確率などもすべてブログで公開していました。
その他にも移住者の方の生活状況や、グリーンカードの取得手続きなど、実績と信頼がなければ掲載できない内容の記事もたくさん公開しています。これらがグリーンカードジェーピーを選ぶきっかけとなりました。
実際の応募手続きも簡単でした。DVプログラムに限ったことではありませんが、米国のビザ申請は当然ですがすべて英語とローマ字での記載となります。この際に住所表記、出生地表記など微妙なところで間違う方はかなり多いと思っています。特に地名をヘボン式ローマ字で正確に書けるかと言われると「??」となるのでは。その点グリーンカードジェーピーは申請項目は日本語入力や自動入力に対応していて、申請者の要件に応じて入力フォームも自動的に切り替わるので、とても簡単に申請情報を記載できました。自分で応募する際にはデジタル証明写真の要件が最大の障壁になると思いますが、この問題にも長年の実績と技術で対応されていて、申し込む側としてはとても簡単で上半身が写った写真を準備するだけで、専門的な処理はすべてグリーンカードジェーピーが行ってくれました。
1回目の応募でグリーンカード当選!
2021年5月9日から抽選結果を確認できるようになり、確認してみるとなんと当選していました。E2ビザからグリーンカードにステータスチェンジしたくて、DVプログラムに応募したのですが当選の確率もグリーンカードジェーピーのブログを見て知っていたので、まさか一回目で当選するとは思わず、まさに奇跡でした。
すぐにグリーンカードジェーピーに連絡し、E2ビザでアメリカに滞在中で、グリーンカードへのビザ調整手続きも可能性があることを伝えて、今後どうすべきか意見を求めました。
するとすぐに返信をいただいて、前トランプ大統領の移民に関する大統領令やCOVID-19の感染拡大が影響して、ビザ発給が滞っていることや、私が住んでいるカリフォルニア地域では、特に多くの未処理分ビザ(バックログ)が溜まっていること、また当時はDVビザ面接も中断していることなど、専門的ですがわかりやすい言葉で現況を教えていただき、さすがに長年DVプログラムを専門にしているプロだなと思ったのを覚えています。
また、カリフォルニア滞在中でも面接の際に一時帰国して、アメリカ大使館で面接を受けることもできて、私のケースナンバーならAOS、面接のどちらでも手続きできるという情報もいただき、E2ビザでお世話になっていた移民弁護士さんにも相談しました。
AOS=Adjustment of Statusとは、米国に非移民ビザで滞在中のDVプログラム当選者が非移民ビザから移民ビザに変更するための手続きのこと。
そしてグリーンカードジェーピーに、私の配偶者や子供の事情なども説明していると、海外在住で電話も使いにくいだろうと、担当のAさんが直接連絡を取れるようにしてくださり、サポートしていただけたのです。
仕事以上に大変だったDS-260作成。
米国内でAOSするか、日本に一時帰国してアメリカ大使館での面接を受けるかを検討した結果、一旦E2ビザを更新してアメリカにとどまりながら、準備を進めて、アメリカ大使館での面接を受けることにしました。
DVプログラム当選後、手始めとなるのがアメリカ国務省への外国人登録で、オンラインフォームDS-260に個人情報を入力していきます。
私はE2ビザの取得時も移民弁護士に手ほどきを受けながら、ビザ申請手続きを行った事が何度かあるので、同じようなフォームで申請書を作成した経験もあり、サクサクと進めることができるだろうと思って取り掛かったのですが、いきなり難関に。
16歳以上で住んだ住所の履歴をすべて申請内容として記載しなければならないのですが、私は仕事柄もあって、渡航歴や転居歴が人並み以上に多いのです。日本とハワイに自宅もあったので数ヶ月ごとに滞在するということもありました。どこまで記載すべきかをグリーンカードジェーピーのAさんに確認しました。
住所に関しては自宅や転居した際の記録でどうにか辿れるのですが、どのくらいの期間ハワイと日本に住んだのかを一ヶ月単位で申告しなければならないのですが、その期間を確認する術がなく、どうしようか悩んでいると、すぐにアメリカ渡航歴を確認するためのwebサイトを教えてもらえました。
DS-260は記載項目が大変多く、私は膨大な転居歴の記載だけでもかなり大変な思いをしました。他にも設問の意図やどう回答を記載すべきか判断に悩むような箇所がいくつもありましたが、こういう移民弁護士でさえ答えられないような難題も、DVプログラムの移民ビザに特化したグリーンカードジェーピーが、いとも簡単にすぐに回答してくれたのです。経験と知識が豊富だからこそ解決に導いていけるのが実績の裏付けだとつくづく思いました。
アメリカ在住中の準備と先送りになった面接
移民ビザの取得手続きにはたくさんの証明書や個人情報に関する書類が必要で、今回の手続きでグリーンカードジェーピーから案内された必要書類の説明に目を通すと、以前B2やE2で準備したことのある書類を適用できるものが多かったので、このあたりの準備は正直、慣れたものでした。
気をつけるべきは書類によって、アメリカ国務省が期限や制限、取得条件などを設定しているので、そこを外さないことですね。
日本国内の機関や当局に請求が必要な書類もありますが、遠隔で取得できるものは準備を進めました。
途中で不明なことがあってもAさんに連絡すると大抵のことは即答です。わかりやすく説明していただき無駄がない。そういう相談で、時にはプライベートな事情や生活面などについても話していると、親身になって相談に乗っていただけたし、雑談も気さくに話すことができて、とても安心しました。
Aさんと相談しながら2022年2月くらいの面接を想定して、留守中のことや日本に入国してから進める手続きなども整理しながら、スケジュールを仮定していきました。
COVID-19は入国制限や隔離期間だけでなく、今回の手続きでは受診必須の健康診断にまで制限が及んで、面接日が確定しないと調整もできないことが出てきました。
私の場合はカリフォルニアで子供二人と三人暮らしです。少なくとも半月くらいはアメリカを離れなければならないし、時期によっては上の子が学校に行かなければならないので、留守中のことも色々と考えて日本から母を呼ぶことにしました。
最新の動向から面接時期を分析して的中。
ところが、着々と準備を進めていったのですが、面接がなかなか決定しません。
Aさんは毎年100名以上をサポートしているということだったので、相談のたびに最新の動向を分析して、情報を提供してくれました。
そしてAさんの分析では、私と近いケースナンバーの方も含めて見てみると、どうやら米国在住者は日本在住者より一ヶ月後に面接日が設定されるという傾向を突き止めて、それが的中しました。
面接時期が見えてきて、決定したのはよかったのですが、すでにその前に日本から母に来てもらっていて、予定よりずいぶん長く母に留守を任せなければならなくなり、負担を掛けてしまい申し訳ないと思いました。
この面接日程の予測は、DS-260作成完了後に、ケースナンバー順に進んでいく面接日程の決定プロセスをDV-2022での実際の進み方から分析した結果です。毎年同じ傾向ではありません。
DV-2022の発給期間となるのは2021年10月から2022年9月までの1年間。ところが年度の始まりは、まだCOVID-19パンデミックの影響ででビザの未処理案件や国務省の業務遅延が続いていました。
このためDV-2022も10月からカットオフナンバー(面接対象となるケースナンバー)は発表されていましたが、2022年の1月まで面接が設定されなかったのです。
I.Sさんのケースナンバーは比較的小さく、例年であれば12月から翌年2月くらいの面接になると予測できていましたが、これが数ヶ月先送りとなってしまい、日本に一時帰国するためのスケジュールも大幅な変更となったのです。
面接はいつ?全く違う日が指定された!
面接の日程が決まったので、アメリカを一時的に離れることになりましたが、このとき、アメリカ国務省が指定した面接日とアメリカ大使館が連絡してきた面接日が全く違う日程になっているという、信じられない事件が起こったのです。
すぐにAさんに連絡してみると、アメリカ国務省、大使館情報など、私のステータスを調べた上で、最終確認方法も教えてくれました。
出発前にまさかのオフィシャルミスが発生し、最後まで気が抜けないと思い、その他重要となる提出資料も念入りに確認と準備を行いました。
今回の手続きではE2など以前に非移民ビザを取得したときの経験もあり、資料の手配などは割とスムーズでした。それでもやはりDVプログラム特有の流れは初めてだとわからない部分が多々あり、それに加えて面接時期のずれ、帰国時の隔離やワクチン接種証明(健康診断の受診条件にもなっている)などCOVID-19の様々な影響がありました。
日本国内でないとできない手続きの一つが、健康診断です。面接決定後にまずこれを受診しなければなりません。面接に受診結果を持参しますが、これを取得できるまで1週間ほどかかるのです。
健康診断結果やその他数種の個人情報書類は、移民ビザで入国する際にCBP(アメリカ税関・国境管理局)に提出する重要書類です。
面接はトントン拍子!…のはずが。。。
日本に帰国して、長男と一緒に東京に仮住まいとなりました。健康診断を受診して一週間後には診断結果を受領できました。無犯罪証明も問題なく取得、資産証明や卒業証明書なども準備は整っていました。
そして面接日は4月6日で間違いないということが確認できていたので、留守を任せている母を早く安心させてあげたいと思い、すぐにアメリカに戻れるように飛行機のチケットも手配済みでした。ここまでは本当にトントン拍子です。
アメリカ大使館もE2ビザの手続きで訪れたことがあり、雰囲気もわかっていたので、特に緊張することもなく面接当日を迎えました。
面接の内容もほぼ想定通りで、領事の質問も簡単なものばかりでした。しかしここで予想もしなかったアクシデントが発生したのです。
領事から「学校を卒業したのはいつ?」と質問されたのですが、作成したDS-260にも記載したし、提出した卒業証明書は学校側が作成しているので、国務省や領事も内容は確認済みのはず。念の為に聞かれているのだろうと、うろ覚えで答えたところ、これにて面接は終了となったのですが、なんと「卒業証明書が完全なものではないので正確な記載で再提出してください」と告げられて、今日はビザを発行できません。との一言。。。
え??なんで?!。
完璧に準備して、簡単に終わるはずだった面接が、、、なんで?一瞬頭の中が真っ白です。結局この日は「ビザ非承認」の紙を渡されて、大使館を後にしました。
卒業証明書に肝心の卒業日が記載されてない!
なぜ移民ビザが承認されなかったのか。その原因は私が卒業した学校側の事務手続きにミスがあったのです。提出した卒業証明書を注意深く確認すると、なんと、卒業年月日が記載されていないのです!
すぐに今回の詳細をAさんに連絡しました。Aさんも「学校側が発行した書類にそんなミスが!なぜ??DS-260の作成時にもちゃんと記載内容に合わせたはずなのに…」と信じられない様子でした。
なぜこうなったかを整理すると、DS-260の作成時は、以前E2ビザの手続きで取得していた卒業証明書を元にしていたのです。学校側が作成し発行する公式資料なので、様式や文言などは定形で、個人情報に当たる部分のみ挿入しているという書式になっていました。
移民ビザの手続きでは、当選後の手続きで必要となる書類なので再取得となり、学校側に請求して発行してもらっていたのですが「発行日以外は定形書類」という確信があり、細かい内容を見ていなかったのです。そこにまさか卒業日の記載漏れがあるなんて。
学校側の事務的ミスによるもので、そこは色々と突っ込みたくもなるのですが、Aさんも私も「とにかく早急に移民ビザを発給してもらうのが最優先」ということで、手続きにかかりました。
タイムリミットまで1日。移民ビザが届かない!
学校側に今回の事情を説明し、大使館側が要求する内容も伝えて、卒業証明書の再発行を依頼しました。
移民ビザは3日くらいで手元に届く予定でいたので、それを見越してフライトを予約していましたがそれもキャンセルして日程を変更です。
学校側が卒業証明書を準備して、東京に届くまで3日、そこからアメリカ大使館に発送し処理されてビザが手元に届くまで7日から10日くらいとして、アメリカへの帰国便を4月21日に予約調整しました。
予定以上にアメリカ滞在が長くなって、生活にも慣れていない母親が体調を崩してしまったらしく、面接後はすぐに帰国するはずだっただけに、更に2週間近く日本に留まることになり、心配も募ります。
しかし移民ビザがないことにはアメリカに戻れない状況。こんな事になるとは思ってもみませんでした。
学校側に早急に卒業証明書を再発行するよう伝えていたので、すぐに送られてきました。内容も細かく確認して問題はなし。早速レターを添えてアメリカ大使館に送りました。
これで補正手続きは完璧なはずですが、ありえないことが起こっただけに、ちょっとしたことが気になって不安になります。そんなときも度々Aさんに連絡すると、色々と話を聞いていただいて安心できました。
しかし数日待っても大使館からは音沙汰なし。送った卒業証明書はとっくに受領されているのに、ビザ発給手続きに至りません。日に日に不安が募ります。郵便物の受領ができなくては困るので、留守にするのもためらいます。
そうこうしているうちにフライトまで3日となり、ついに管轄の郵便局に問い合わせ。しかし私宛の郵送物は何もないとのことで、この日の夕方頃には焦りも不安もピークです。
フライト前日。ついに移民ビザが発給された!!
フライトが21日予定ということもあり、状況をAさんに伝えると、とても心配してくれて、処理の遅延も考えられるが、これ以上アメリカへの帰国日を延ばすのは限界と判断して、試したことはないけどやってみよう。ということで「秘技」を伝授してくれたのです。
そして次の日。Aさんに教えられたとおりに「秘技」を試してみたところ、なんと本当にその日に移民ビザが発給となりました。
その日のうちに発給手続きをしてくれたという事は、逆に言うと今まで移民ビザの発給準備は進んでなかったということです。「秘技」を実行していなかったら移民ビザ発給まで、まだまだ日数を要していたことでしょう。
もし自分だけで手続きを進めていたり、慣れていない弁護士に依頼していたらどうなっていた事かと思うと、こんな想定外のアクシデントでさえも対応できてしまう、グリーンカードジェーピーとAさんの実力には改めて驚きました。
移民ビザが無事に発給されたことをAさんに連絡すると、まるで自分ごとのように喜んでくれました。これでアメリカに帰れます。
移民ビザ発給の翌日アクティベートも完了
早速、移民費用の支払手続きをオンラインで行い、帰り支度です。この数日間は本当にピリピリとした感じが続いてストレスだっただけに、パスポートと移民ビザを手にして、やっとすべてが終わるという実感が湧いてきました。
そして次の日、予定通り成田からの便に乗ってロサンゼルスに到着。今回は移民ビザでの入国手続となり、CBPに渡航書類を提出してグリーンカードの取得手続き(アクティベート)を行いましたが、そこは全く複雑なこともなく、いつもの入国手続より少し時間を要しただけで無事終了です。
久しぶりに我が家に戻ることができ、母と娘にもようやく再会できてホッとしました。
帰国後はソーシャルセキュリティカードの制限も解除してすべてが終わった!と安心していましたが、最後の最後で移民費用の払い間違いが発覚するなど、今回のグリーンカード取得までには本当に色々ありました。
思い返せばこの1年、グリーンカードの取得手続きや個人的な事情など、何度となくAさんに話を聞いてもらって乗り越えることができました。本当にありがとうございました。
今回の移民ビザ取得手続きではアメリカ当局や学校のミスで何かと問題が発生しましたが、I.Sさんからは決してネガティブな面が感じられず、アクシデントもネタにしてどうやったら前に進めるかを楽しんでいるかのような雰囲気さえ感じました。
どんなことが起こっても深刻になりすぎない、下を向く前に出口を見つけていく姿勢には独特の強さを感じました。
今回はグリーンカードの取得、本当におめでとうございます。
カリフォルニアに戻ったI.Sさん。この夏ニューヨークに旅行された時の旅の思い出を送っていただきました。
-
前の記事
8月のグリーンカード取得レポートinグアム 2022.08.28
-
次の記事
2022年9月ロサンゼルスでグリーンカード取得手続き 2022.09.12